地のめぶける 2

七つまで生きられないと角占に言われた”濁り”の末娘も無事に成人を迎えて、一番東の山を一つ任された。
言葉の通じない獣のほうが多いといわれ皆のほしがらない極東の山脈だが、告げられた時の誇らしさを眞白はまだ覚えている。

今年成人できたのは7人だ。
一番「地の主」になれそうな”透け鋼”の青鋼は大陸の端、西側へ行くらしい。彼女は体が丈夫だ、きっとまた会えるだろう。”氷石”の水鏡は南の、海に囲まれた岬だと大変喜んで走って知らせに来た。いつもよりも二倍三倍のはしゃぎっぷりで、痛いほど腕をぎゅっとつかんで目を輝かせて報告してくれた。孫柘榴は湖のほとりの、金蛍は北の岩だらけの山をそれぞれ任されたそうだ。「誰もいないだろうから思ったよりも気軽でいいかも」と肩をすくめておどけて見せる彼らはちょっとほっとしていた。月靄は?と問えば耳の早い水鏡が遠くの方から本人を連れてきて東南の島々だと叫ぶ。この仲間の中では一番調整が難しそうな土地だ、あぁいやだと行く前から落ち込み気味に見える。
村の端に据えた、いつものお茶飲み場に儀式が終わった順に集まっては自分の場所を、隣や山脈の主の噂を交わす。許されるようになった新しい香や衣の模様を試したり、太刀の結びや舞の足を確認し合ったり……口には出さなかったけど、皆がそれぞれ別れを惜しみ合って、日が昇るまでお茶飲み場から誰も帰ろうとしなかった。別れた先のことも、口にはしなかった。
眞白が一番気にかけていた黒針は前の噂通り川に挟まれた珍しい土地へ向かうらしい。あの家は変な土地が多く、この前帰ってきていたおじさんなんか海の底なんだって、と昨日からささめかれていたとおり。黒針は自分のことを話さないから、こっそり儀式の端で隠れて聞いたのだが、やはりお茶飲み場でも話してくれなかった。黒針から話してくれるまで待ちたかったのだが、時間はもうない。
成人の儀が終われば旅支度だ。そして主仕えが順調になればなるほど集落へ戻ることも年々少なくなるだろう。主になれば、戻るどころか土地をでることも許されない。日が昇りきった頃、それぞれの家に向かう路地で、じゃあねまたねと短い別れの言葉を交わした。
誰もさよならは言わず、けれど振り返るものもいなかった。

未だ作られたばかりの世界、色々なものが色鮮やかに駆け抜けた時代はまだはっきりと境の決まっていない時代でもあった。
生物内の種だけではなく、モノとイキモノの境さえも緩やかに広大な土地の上で一つの命、一つの一族として名乗りを上げる黎明期。
獣と獣の境に生まれた”毛皮髪””耳持ち””鰭の民”…植物と獣の子ども達である”根付き””繁り葉”……生き物の形をとる”生き石”…
その一種、石雑じりの”角持ち”とそのあたりのモノたちが呼ぶ種族の中に眞白は生まれた。
赤い色の角が多いから”赤芽”、濁りのある角を持つ輩が生まれることが多いから濁り、と素朴に呼び合う角持ちたちから見ても
生まれたばかりの眞白の角は見事に白く滑らかで、薄く七色の光を弾いていた。だから、眞白。名前はすぐに決まった。
けれどそのきれいな鉱物は他の角持ちの角とは作りが違っていたようで、柔らかく雨や日差しですぐに色味が変わり、表面は簡単にひび割れた。
角の丈夫さは本人の生命力……角占に言われなくても、眞白の親は「いずれ死ぬもの」と覚悟を決めて日々を過ごしたらしい。この年生まれた中で一番綺麗な、でも一番役たたずな娘。それが眞白だった。
けれど、眞白は死ななかった。運が強かったというのかどうかはわからないが、流行病にもかからず大きな怪我もせずに育ち学びも終えた。
自分が弱いから自分で生き延びられるようにと、眞白が選んだのは身体を癒す学であった。親の献身的な手当を見ていて「だれかの役に立ちたい」思いが人一倍強かったからかもしれない。
簡単な手当から薬草、癒し、そして苦しまないようにする術を黙々とその身に吸収して育てば自然と得意なことも出てくる。
命を見つける勘と仕留める技術の揃った眞白は数えで十を過ぎる頃すでに村で指折りの猟師と評判になった。評価されれば楽しい、野山を駆け回るうちに角はひび割れ輝きを失ったが、体は肉もついてとってくる獲物も薬草も増えた。
仕事が増えて体力がついて、家を出ることも増えて友達も出来た。そして、友達たちが抗えない死に飲まれていくことも多くなった。角持ちは大木のごとく長生きする。しかしそれは成人以降の話、幼い角持ちは病に弱く、怪我に弱い。大人の角持ちが一週間で治せるほどの角の欠けでさえも命取りだ。
幼子の死はよくあること。でも眞白は子供で、眞白にとってはかけがえのない友達で、理解できるのは自分の無力だけだった。親の恩に報いることも友達を救うこともできなかった。今でもその無力感は大きく、眞白の隅で足を引く。求められなければ手を出しても苦しめるだけだと、眞白の手を止める。
とうとうそれは克服できないままだったなと、秤や薬の端材を鞄に詰めながら眞白は苦々しく笑った。